糸巻文庫

古代人の声をカタチにして、あなたに届けます

原点

自宅の古い物整理を続行中です。

今日は大学の入学関係の書類の束(古すぎ!!)を、やっつけました。

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ほとんどすべて捨てたなか、大学案内のパンフレットだけが残りました。

高校3年生のとき、学内の進路指導室で見つけた真っ白なパンフレット。

装丁の美しさに、まず目がいきました。

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上品なフォントに、金の型押し、細い金色の窓枠から、ゴシック建築の塔がのぞいていました。

 

ひらいてみると、美しい建物の写真。

しずかな写真集のように、こちらをいざなってきます。

 

 

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修学旅行以来、2度目の〝京都〝にここで出会いました。

 

その頃から脳内お花畑だった私は、

この写真の美しさに引かれて志望大学を決めてしまったと言って間違いありません。

 

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文学部の中で芸術学を専攻できる大学も、他にあまりありませんでした。

そこに運命を感じたことも大きかったです。

 

 

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高校や家庭、たくさんの人たちのサポートがあり

奇跡のような幸運を得て

写真の中の学び舎に本当に入学してしまったこと、そこから始まる京都での4年間。

 

すべてのスタート地点は、このパンフレットの表紙と目が合った瞬間だったんだなぁと思います。

 

…捨てられない…これは残しておいて、10年間隔でうっとりしよう(笑)

 

 

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前置きが長くなりました。。

「原点」というのはパンフレットのことではありません(笑)

 

【仏教との出会い】の場がこの大学だったことを記しておきたかったのでした…

 

大学2年生から本格的にバイトに明け暮れ、必修単位をいっぱい落としてしまった不本意な19歳。

 

創設者が会衆派のキリスト教に基づいた教育を理念に掲げてできた母校。【宗教学】が必修だったのですが、3年生で再履修に至りました。

 

何十ものキリスト教にかかわる単位のなかに、【仏教学】という講義を見つけた私。

その頃の私は、キリスト教というものにまったく興味を持っていませんでした。

 

日本語と親和性が高いかな?頭に入りやすいかな?と安易に選んだ仏教学の授業でしたが、内容がとてもわかりやすく親しみを感じられる講義でした。

 

それは「ゴータマ・シッダールタ」という1人の若き王子がやがて人の世の苦しみを知り、真実を探るべく修行の道に入っていくという、人間ドラマ的な物語を1年かけて見ていくようなプログラムでした。

 

これ以上単位を落とせない切迫感もあり(笑)毎回、わりと真剣に講義を受けた記憶があります。

 

仏教とは何か、ということの前に

「ブッダ」が徹底して生身の人間だったことを最初に刻みつけられたことは結果的にすごく良かったと思います。

 

ブッダの超人的な先見の明に驚き、古い時代になぜ彼が現代の量子物理学分野の知識に等しい内容を知っていたのか、思いをめぐらせることになるのはそこからまた数年後、私が社会人になってからの話になります…

 

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仏教の歴史そのものと共に歩む京都のまちに、大変な苦難を乗り越えて、プロテスタントの流れを汲む母校は建ちました。

 

キリスト教の学校であっても仏教学を学ぶ選択肢もちゃんと並べて置いてくれていたリベラルさに、懐の深さを感じます。

 

キリストの優しい光降り注ぐ校舎のなかで、ブッダの物語を楽しく学んだ時間、、

それはそのまま令和2年の私の意識に繋がっていました。

書類は今日ぜんぶ捨てたけど、インドの王子と一緒になって【四門出遊】の旅に出た記憶は、この先も消えることはなさそうです。